昔の私が流せなかった涙が生きづらさの原因
こんにちは。センチです。
なんとなく私は他の人に比べて生きづらいんじゃないかと思っていました。
実際普通の人より生きづらい性格だと思います。(普通の人の定義も曖昧ですが…)
なぜ私は生きづらいのか、それは自分でしっかり自分の内面に向き合わないとわかりません。
しかし、内面に向き合うというのは私にとってすごく辛いことでした。
初めは人見知りだから生きづらいんだと思っていました。それも正解といえば正解なのですが、「人と関わるのが苦手」になる原因は
今まで一度も考えてこなかったのです。
結果から言うと、私がHSPの性質を持っているからです。(この話は詳しくはこちらのブログを見ていただけるとありがたいです。)
HSPというのは過去にトラウマがあった人によく見られるそうです。
トラウマと言っても私には検討がつきませんでした。
一見普通の家庭に育って、一見普通に成長しました。
しかし先日購入したHSPについての本を読んでいたら、私は過去の私に会いに行っているような気分になり、色々と嫌だったことを思い出したのです。
オンラインゲームを延々とプレイし、知らない人とのチャットには笑っているのに、
話しかける私には激怒する母の姿。
自分の意見を言っても否定する両親。
「お前は金食い虫だな」と言われた記憶。
今でも書きながら思い出して涙が止まらなくなります。
しかしその頃の私は「いいこ」で、その事で泣いたり文句を言うことは、ほぼありませんでした。
文句どころか相談すらしたことがありません。
自分の考えを伝えたり、おかしいなと思ったことを正直に言ったり、好きな人の話も親にはできませんでした。
否定される気がするから。
周りの子がお母さんと本音を言えて、楽しそうに「お母さん大好き」と言えていることが、
今思えば羨ましかった。
その本をめくるたび、私の心の底にへばりついたトラウマの層を一枚一枚剥がすような感覚に陥りました。
本来思い出さなければ小さな思い出でしかなかったものが、実は私の心を傷つけ続けていた。
果実に付けられた小さい傷は、いつしか大きな腐敗になります。
そして私は小さかった頃の私が流せなかった涙を、大きくなってから流すことができました。
私を傷つけた両親の些細な行動は、悪意のないものだったのかも知れません。
ですが、その行動が子供の私の健やかな成長を阻んでいました。
今でも両親に本音で話すことはできません。
今の私が、昔の私の辛さや悲しみに気づいてあげること、自分自身を守ってあげること。
それをしなければならないと痛感したのです。
そして私は子供の私を抱えあげ、安心できる巣へと運んであげなければならない。
私が自由でいられる場所へ。
今回読んだ本はこちらです。
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